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これでもかと人生の峠を越えてきたシルバーヘアカップルが、 それにも飽き足らず峠越えをする旅に出た。 ゴールデンウィーク後半の三泊四日の旅だったが、 これほど峠の標識を目にしたことはかつてない。 長野県は山と峠の国である。 三州街道と銘打つ国道153号の治部坂峠をかわきりに、 伊那谷と諏訪を結ぶ杖突峠、 信州と甲州を割る信州峠、 松並木が続く中山道の笠取峠に水戸の浪士ゆかりの和田峠などなど。 思い出して指を折っていくと、両手では足らなくなった。 どこも夫のドライバー歴からすると1300CCの小さな車でも 楽々越せる峠ばかりだった。 なるようにしかならないと腹をくくるしかない人生の険しい峠とはここが違うのである。 眺望が開け、山並みが平安朝の着物のように折り重なって見える峠もあれば、 木漏れ日が光るだけのところもある。 峠を境に県なり、昔の藩なりが変わると、 歴史に弱い古妻でも旅ごろもの昔人の足跡に思いをはせ、 新鮮な旅心地を味わうことが出来る。 日本を南北に分断するという中央構造線近くにある分杭峠の手前で 弁当を開くために車を止めた。 丈の高い木にピンクの小さな花がぽつぽつと咲いている。 峠から降りてくる車も登っていく車もほとんどなく、 雪解け水がせせらぎとなって音をたてるほかは、鳥のさえずりだけである。 そんなロマンチックな空間に旅心も加わって、 若かった頃の思い出でも語り合いたくなる気運が妻を取り巻いた。 しかし、それを見事に打ち破る夫の一言。 「わし、ちょっとションベンしてくるで」 あくまでもムードのない男だった。 現実に引き戻された妻が後姿に叫ぶ。 「あんたぁ、誰が出てくるかわからんで、遠くに行ってしぃよーー」 <つづく> |
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